場所:茨城県石岡市府中
アクセス:石岡駅から徒歩約15分
【解説】
天平13年(741)に、聖武天皇の詔により国ごとに建てられた国分寺のうちの一つ。往時は他国の国分寺と同様、金堂や七重塔などの大伽藍を有していた。その後、平将門の乱や、佐竹氏と大掾氏の争いなど数々の争乱に巻き込まれて衰退。一時は無住になりながらも、同地に位置し続けた。現在の伽藍は往時と比べると小規模であり、本堂などの堂宇も他の寺院から移築したもののようである。
往時の伽藍は、現在の境内とほぼ被さる形であったことが発掘調査で確認されている。特に現本堂と金堂跡、現境内入口と中門跡は、同位置にある。この国分寺跡が国指定特別史跡に指定されているほか、山門(旧千住院のもの)及び昭和初期に建てられた都々一坊扇歌堂が市の文化財に指定されている。都々一坊扇歌とは、都々逸節の創始者とされる江戸時代の人のことで、境内に墓所がある。
【訪問記】
2023年春の平日、石岡駅から徒歩で訪問。
決して小さい寺院ではないが、何度も火災にあったために見るべき古建築は無い。しかし、古代の国分寺が連綿と継承され、現在も跡地の真上に寺院が存続しているということにロマンを感じる人は行く価値があるだろう。私はその一人なので、十分楽しめた。
【余談】
石岡は国府があった場所で、国府跡や総社宮が残る。街並みも看板建築が並ぶ美しいもので、訪問の価値がある。
名所評価(★は5が最高)
面白さ:★★★
再訪度:★★
快適さ:★★★
アクセス:★★★
石岡駅からのアクセスは良いが、石岡までが副都心からはやや遠い。
周辺スポット:★★★★
石岡市は古い街並みがよく残り、国府が置かれたこともあり史跡が多い。
個人的満足度:★★★★
「国分寺」の響きは、個人的にロマンを掻き立てるものである。
説明板。下部が読めない。
境内図
中門跡。天正期に建てられたものの遺構
説明板
伝七重塔心礎
山門
砲弾
都々一坊扇歌堂
説明板