場所:神奈川県三浦市三崎町小網代
アクセス:三崎口駅からバスで「油壷」下車徒歩5分、「シーボニア入口」下車徒歩10分。徒歩で約1時間。
【解説】
相模三浦氏の居城跡。築城年代は不明。油壷湾・小網代湾に三方を囲まれた断崖絶壁の岬を利用して築城されている。
戦国時代前期、三浦家の当主は文武両道と名高い義同(よしあつ、別名・道寸)であった。義同は扇谷上杉氏勢力の陣営に属し、新興勢力の北条早雲と激しく渡り合っていたが、ついに早雲に敗れて新井城へ追い込まれる。
それでも新井城の守りは堅く、名将・早雲をもってしても3年間の間攻めあぐねた。しかし永正13年(1516)、救援軍を撃破され兵糧も尽き果てた新井城は落城。名門・三浦一族は滅亡し、彼らの血に染まった城沿いの入江は「油壷」と名付けられた。
現在、新井城内の多くの部分は東京大学の研究施設となって対いることはできないが、その内部には土塁や堀がいまだに残っており、ハイキングコースから一部見学もできる。
【訪問記】
2025年春、三崎港から諸磯湾などを経由し徒歩で訪問。このアクセス方法では景色を楽しめるものの、やや道が分かりにくい。
新井城は先述の通り遺構や見所があるが、それぞれは離れており、一筆書きで巡ることもできない。そこで当サイトでは①空堀・土塁→白秋歌碑・油壷湾眺望スポット→荒井浜へのハイキングコース、②三浦義同・義意墓所、③引橋跡→堀切→油壷験潮場の3か所に整理して記す。
まず①の荒井浜へ続くハイキングコース。海の家の看板に従い、東京大学の敷地横を進む道。断崖沿いであり、この場所が自然の要害であったことがわかる。道沿いには、良好に保存された空堀・土塁跡を望めるスポットに城跡の説明板があり、さらに進むと油壷湾を眺められる場所に北原白秋の歌碑がある。静かな道で、三浦一族に思いをはせることができる。
私がそこからさらに進み荒井浜へ出たのは、「三浦一族資料館」があるという看板があったため。この資料館は海の家横の小屋にあったようだが、今はその場所は荒れ果ててなくなっていた。それでもこの海岸に来て後悔はしない。遊泳に適さない時期ゆえか人は少なく、断崖によって町から隠された小さな白浜には波の音だけが響く。遠くには伊豆半島が、その奥には富士が浮かんで見えた。
②の三浦義同墓所は、干潮であれば胴網海岸から岩場伝いにも行けるらしいがやや危険そう。油壷マリンパーク跡地付近からアクセスしたい。駐車場が見えたら、その左手の道を下って行くと義同の墓が、右側の木立の中に義意の墓がある。義意は義同の子。怪力をもって知られ、その最期は壮絶なものであったと伝わる。義同の墓は小さな岬の先端にもの悲しくたち。奥にはきれいな海が見え、無常の感をかきたてた。
③はやや分かりにくい。かつて城の引橋があった場所から、今なお残る堀切を海へと下って行くコースで、「油壷験潮場」の看板が目印。この道を入っていいか戸惑うが、験潮場には見学客向けの説明板もあるくらいなので心配は無用。
油壷湾沿いに着くと、小さな験潮場が見える。旧棟は明治27年に建てられたレンガ造りの蔵に似た建物。土木遺産に認定されている。また、験潮場の東側には、特攻艇・震洋の桟橋も残っている。この辺りの入り組んだ海岸には多くの特攻艇基地が設けられ、多くの若者がここから出撃し、戦死した。この地で悲運の死を遂げたのは、三浦一族のみではないのだ。
験潮場の西側には岩場が続き、釣り人グループがたむろしている。挨拶し、ここから写真を撮りたい旨を伝えると、「俺がモデルになってやろうか?」「良い写真は撮れた?」などと優しくしていただけた。この岩場からは、新井城の全景と、伝説の残る油壷湾が一望できる。その風景は夕日も相まって、先ほど見た荒井浜の明るい美しさとは違う、どこか暗くもの悲しい美しさに感じた。
帰りはバス停「油壷」から。ただし、このバス停は本数僅少なので、「シーボルト入口」の時刻表も確認しておきたい。
【余談】
5月の「道寸祭り」に際して、東京大学構内の遺構が一般公開されるという。
名所評価
面白さ:★★★★
・城跡だけでなく、荒井浜海岸なども含めた評価
再訪度:★★★★
・風光明媚な場所なので、季節を変えて行ってみたい。夏は雑草が茂ったり、混雑しそうで避けたいが…
快適さ:★★
・道が入って良いか悪いか分からない場所が多い。トイレは荒井浜や油壷バス停前にある。
アクセス:★★
・バスがやや分かりにくい。
周辺スポット:★★★★
・三崎港まで出れば一大観光地で、渡船で城ケ島も行ける。昔は城ケ島~油壷も渡船があったらしい。
個人的満足度:★★★★★
・興味のあった三浦義同父子に思いをはせる場所もあれば、美しい風景、特攻の悲しい物語に触れられる場所もあり心動かされた。人も少なく、時間の流れの変わったような場所であった。
①荒井浜ルート入口
空堀。東京大学敷地内のため立入不可。
説明板
説明板
荒井浜への道。右手に土塁が続く。
白秋歌碑
油壷湾の眺望
説明板
荒井浜への道(下へ行く階段)
荒井浜公衆トイレ
荒井浜
荒井浜海の家。この辺りに三浦一族資料館があった。
②三浦義同墓へ続く道の目印となる駐車場
右手の木立が義意墓所
三浦義同墓所
墓石
墓所は小さな岬の先端にある
説明板
三浦義意墓所
新井城跡碑
三浦義意墓の隣
油壷マリンパーク跡地
当然、この辺りも城内であったが遺構は現存しない
③油壷験潮場への道の入口
堀切を下って行く道である
油壷験潮場
験潮場
堀切
特攻艇・震洋の桟橋
湾の奥には多くのボートが停泊する
験潮場裏の岩場では釣り人が糸を垂れる
油壷湾と新井城が一望できる
静かな油壷湾
右手の岬が新井城である
油壷バス停